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クルイロ 翼 ロシア サッカー 小説 書籍 本 悠冴紀 文芸社 純文学 芸術 アート 単行本 出版 心理学 友情 ソウルメイト 双頭の鷲 ボリス アレクセイ サクセスストーリー

小説家 悠冴紀のデビュー作(純文学系小説)『クルイロ~翼』のご紹介です。

 

※ブログ上では、出版や製作にまつわる秘話・裏話のほか、本文からの

 名言(名場面)集なども投稿していますので、あわせてご覧ください▼

 

※Amazonの掲載ページ▼

注: 残念ながら、この作品の流通はすでに終了しております。(つまり絶版)

 購入可能なのは、上記リンク先▲のAmazonで見られるマーケットプレイスの

 商品と、古書店などに残っている僅かな中古本のみとなっております m(_ _)m

内容紹介

繊細なのに大胆不敵で、刹那的なのに生き生きとしていて、皮肉屋なのに憎めない・・・、そんな破天荒なサッカー少年ボリスと、母国ロシアに留まって彼の活躍を見守り、インスピレーションの源であり続けるアレクセイとの、十数年間にわたる独特の友情関係を、社会主義体制崩壊後の激動する社会情勢とシンクロさせながら描いた物語です。

 

「ソウルメイト的」とも言うべき密接な共依存関係がもたらす光と闇とは?

 

天賦の才に恵まれた者と、その才能を見出し、育てる使命を負った者。

二人でともに成し遂げるピッチの上のスポーツ芸術を通して、

“創る心”を解き明かす未曾有の芸術心理学。

帯 文

僕らは二人で一つ、双頭の鷲。

 高すぎる代償を払っても、

 ともに飛びたい空があった──。

 

混沌の現代ロシア社会が生み出した

感性豊かで破天荒な天才サッカー少年ボリスと親友アレクセイ。

国境を越えた精神の空をアトリエに、至高のスポーツ芸術を描く。

ロシア、オランダ、スペインを舞台に繰り広げられる大河小説。

 

「応援しているよ。どこに行っても僕らはずっと‟ナーシェ・ニェーバ”

(=ロシア語で‟二人の空”)の住人で、いつでもすぐ隣にいるんだから」

 

──見上げればいつも、二人の空があった。

 

 試し読み1

「ユースで教育を受けて、才能を磨いてみる気はないか?」

 

 ボリスは、迷わず首を横に振った。

 プロは金をもらって仕事をするが、教えてもらう立場の者は金を払って通うことになる。父がそんなことに金を出してくれるはずがなく、自分は働ける年齢ではない。またそれをきっかけに、サッカー好きという個性の突出を父に発見されて、サッカーを永久に奪われることになってはたまらない。

 

 実際、かつてヴァレンチンがピアノにおいて才能を開花させようとしていたとき、

「音楽や芸術など、社会や家庭においては何の役にも立たない道楽者の我がままだ!」

 と言って、父がピアノを売り払ってしまったという前例がある。

 

 だが何よりも、頑なに独自性を守ろうとする彼の才能が、本人の自覚の及ばない内奥から、「まだ早すぎる」と働きかけていたようだった。

 

 後でボリスは、スカウトを断ったことについて、その真意をアレクセイにだけ打ち明けていた。

 

「俺は『正しいサッカーのやり方』なんて、誰にも教えてもらいたくない。人と比べて技術的に巧いだの下手だの、専門家の目から見て洗練されているだのいないだの、鑑定に出された品物みたいにそんなことをゴチャゴチャ言われて、大勢の視線にがんじがらめにされながらプレーするのもごめんだ。そんなつもりでやっているわけじゃないんだ」

 

 ボリスは肩をすくめて、軽くかぶりを振った。

 

「それに、『仕事』にしてしまうと、サッカーが嫌になるかもしれないだろ。それだけは絶対に避けたいんだ。サッカーだけは、世の批評家たちや社会なんかとは別の次元に置いて、誰にも侵せない一つのスピリットとして、今まで通りに続けたい

 

 その目が、サッカーをするときの目になって、生き生きと輝き始めていた。

 

「俺は、ただ自由に自分の中に浮かぶイメージを形にして、プレーを創り続けていたいだけ。普通、サッカーってのは笛が鳴ればすっきり終了して、結果を出していかないと意味がないんだろうけど、俺のサッカーはそんな本格的な代物じゃない。一度ゲームが始まったら、時間制限も無視して終わりのない“過程”のまま、ずっとサッカーし続けていたいと思うほどだ。とにかくプレーすること自体が好きだ。それだけなんだ」

 

 単なる趣味、というニュアンスで語るものの、その内容には彼がいかにサッカーを大事に思っているか、職人的と言って過言でない熱い思いが表れていた。有名になることや富を得ることを夢見て、そのためにサッカーするというのではなく、あくまでプレーを楽しみ、別の次元に隔離してでも独自のスタイルや一種の創作活動としての価値を守り抜こうとする姿勢。そしてサッカーを『スピリット』と呼ぶ心意気。

 

 どこをどう取っても彼のサッカー精神は本物だ。アレクセイは思った。

 

 しかし、自分の価値観が人には理解されにくいものであり、個性保護のこだわりも「単なる独りよがり」としか評価されないであろうことを承知していたボリスは、この心境をあえてマヤコフ氏には説明しなかった。

 

 本人がその気はないと言う以上、マヤコフ氏にはどうすることもできず、引き下がるほかなかった。それに、間の悪いことに、この時期ロシアのスポーツ界は危機的状況にあった。ソ連時代は国をあげてのプロ教育が充実していたが、国家というスポンサーの破産によって、各スポーツの育成機関は経営難に陥った。新しいスポンサーとして名乗りを上げた企業や組織も、経済混乱の中で次々に破産していき、グラウンドの賃貸料さえ支払えないのが現実だった。マヤコフ氏がボリスに紹介しようとしていたところは、ほかのクラブよりは比較的に懐が潤っていたが、それでも決して安定しているとは言えなかった。

 

 せっかく見出した天才少年を、できることなら最適の環境で育ててやりたいところだが、時期も状況も悪く、マヤコフ氏はそれ以上強く勧めることができなかった。

 

 ボリスが、世にその才能を知らしめることに繋がったかもしれない貴重なチャンスを逃したという点で、このときはもったいないようにも思われたが、アレクセイには確信があった。『本物』は時期を焦らなくてもいずれ必然的に人々の目を引き、世界へ羽ばたいていくものだ、と。逆境は、才能を鍛えはしても、才能を潰すことはできないのだから。

 

 

 試し読み2

「俺は元々、スターになりたくてサッカーしてきたわけじゃない。本音を言うと、今でもひっそりと自由なサッカーをやっていたかったと思う。協会だの契約だの会見だの、そんな世界とは無縁のところで、お前とプレーしていたかった。でも今更後には引けないし、引く気もない。何故って、生活していけないとサッカーを続けられず、生活していくためにはプロの世界で名を売って稼がないといけないから。……金がすべての人間を憎みはしても、そういう連中で溢れ返る世の中だからこそ、結局は金がないと自分の人生さえ自分自身のものにできないんだ」

 

 幼い頃から、生活力を楯に取って抑圧されてきたボリスのこの言葉は、実に重かった。

 

「俺は、親父の稼ぎに生活を依存するあまり“生ける屍”と化していったあの母親のようになりたくはないし、奴隷か捕虜同然だった昔の自分にも戻りたくない。だから現実的な話、それなりの収入を追求しながら生きていくしかないんだ。誰にも邪魔されずにサッカーライフを繋いでいくためにな」

 

 まったく現実的な話である。心は独自の創造世界にありながらも、身体は決まり事やギブアンドテイクの人付き合いや金銭のやり取りといった事柄を避けられない集団社会にあり、それなりの資金を確保しなくては活動も満足にできない。

 

「それでも俺は、魂まで売り渡すつもりはない。お前が見張っていてくれよな。俺が自分の偽装に呑まれて我を見失うことなく俺自身であり続けるためには、その眼に諭し続けてもらう必要があるんだ。お前の眼は、ほかの誰にも見ることのできないものを映し出す力がある。今ここにある“影”としての俺ではなく、形のない真実の中にある“精神”としての俺を見つめることができるのは、お前のその眼だけなんだ」

 

 いつものことながら、自分の抱くイメージや感覚に素直な彼に正面から直球を投げかけられて、アレクセイは当惑した。

 

「またそんな大げさな……」

 

 アレクセイはアレクセイなりに彼の言葉を真剣に受け止めていたが、とても彼のような率直なことは言えず、照れ臭さを隠しきれなかった。

 

「僕にできるのはただ見つめて、ブツブツとわかったようなことを語るだけで、それが正確な読みかどうかも自信がないよ」

 

 頭をかきなでてそう語るアレクセイを、ボリスは物言いたげな眼差しで見つめていた。届くことのない内心の声で、こう訴えながら。『ただ見つめて、語ること』……それこそが求めるところのものであり、切実に必要なんだ、と。

 

「君に限って、自分を見失うなんてことはあり得ないね。生活資金の問題にしても、なんら心配することはないさ。君のプレーにならどんな名門クラブだって惜しみなく大金を払うに決まってる。自分のことが記事になってる雑誌とか、読んだことあるかい? 辛口評価で有名な批評家たちが口を揃えて、ロシアサッカー史上最高の天才だと絶賛してるんだよ」

 

 すると、ボリスの顔に苦々しい笑みが浮かんだ。

 

「天才……か」

 

 両手を上着のポケットに突っ込み、一度深く溜め息をつくと、彼は醒めた口調で語った。

 

「天才って何のことか知ってるか? そう呼ばれる人物というのは、ある一つの分野において抜きん出た活躍を認められる代わりに、その他の多くの分野において、人並み外れた欠陥を発揮する著しく偏った人間で、この世のどんな枠組みからもはみ出してしまう社会的落伍者だ」

 

 いかにも彼らしい皮肉表現だが、今この皮肉で切って捨てられたのは、腐敗した社会やどこかの国の政治家ではなく、彼自身なのだ。アレクセイは到底、いつものように笑って返す気分にはなれなかった。

 

「なんら誇らしいことじゃない。社会とか世の中の大勢にとってなんの役にも立たない外れ者が、ほかの誰もが念頭においているような常識的な発想や知識を持っていない代わりに、ほかの誰にも思いつかない珍奇なことを思いついて、ほかの誰も成し得なかったようなことをやってのける。それを見て人々は驚嘆し、何か特別に優れた人物であるかのように錯覚するのさ。それだけのことだ。自分に合ったたった一つの分野とやらを見出せなければ、今ごろ犯罪者か物乞いにでもなっていただろうよ」

 

 それを聞いて、アレクセイの脳裏にふと、以前教師の一人がボリスに、

「お前のような人間はいつか犯罪者になる」

 と宣言した日のことが過ぎった。ボリスの才能を確信して彼の前途に輝かしい未来を予感していたアレクセイは、あり得ないバカげた話だと聞き流していたが、ボリス本人には、あの話は必ずしも的外れという風には響いていなかったのだ。

 

「俺はどの道、普通の人間にはなれない。これまでのどの時点を振り返っても、一瞬たりとも平凡であったためしがなく、常に何かズレていた。こうなったらもう、幸運にも発見できた『たった一つの分野』に続く道を、とことん突き進むほかない」

 

 ボリスは、自分自身に降参しましたというような表情をして、肩をすくめた。

 

 才能と渇望に突き動かされて、あまりに非凡な道を歩み出したボリス。そう。彼はまさに、その道一本だけが残るよう始めからプログラムされていたかのように、必然の流れの中にあった。もはや、どの道を選ぼうかと考える余地もない。世界への門戸が開かれた今、突き進んでいかない手はないのだ。

 

 覚悟はしていたが、やはりアレクセイは、実際にこのときを迎えると複雑な気分だった。連絡を取る機会が減っても、国内にいる間はまだ安心感があった。その気になればいつでも会えると。だがこれからは訳が違う。彼が自分のいない遠い世界にますます離れて行ってしまう。こんなふうに引き裂かれるような気分になったのは、かつてに例のないことだ。

 思えば、自分たちはこれまであまりに近すぎたのかもしれない。互いを自分自身の一部と錯覚してしまうほどに。

 

 それでもアレクセイは、自分の勝手なエゴのために彼を引き止めるようなことはしなかった。彼の親友であると同時に、彼の才能に対する後援者でもあるからだ。彼のプレーを初めて目にしたときからずっと、その才能が相応の場に活動の舞台を広げて高みを極めることを、誰より強く望んできた。その気持ちは今も変わらない。

 

「応援しているよ。どこに行っても僕らはずっと“ナーシェ・ニェーバ(2人の空)”の住人で、いつでもすぐ隣にいるんだから」

 

 迷いのない心底からの思いを込めた最初の一言に比べると、あとの言葉は心持ち声が小さくなっていた。

 言葉以上に、人の声や視線に滲み出る心情というものを瞬時に見抜く鋭い直感力の持ち主であるボリスは、このとき、言葉とは裏腹に物理的な距離を無視できないアレクセイの内心の不安に勘づいていた。だが間もなく、自分たちの関係は国境を隔てたぐらいで溝ができるような希薄なものではない、と自分自身に言い聞かせて、彼は自分の直感の目を意識の膜で覆った。切実に、そう信じていたかったのだ。

 

「そうだ。ナーシェ・ニェーバに国境はないからな」

 

 別離のときを間近に控え、ボリスは、昔のままの活発な少年の表情を回復して、空を仰いだ。

 

 

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