●「名前なんて元々恣意的(しいてき)なもので、その人物が何者であるかを示すものではない。どう呼ばれたって、君は君で、俺は俺なんだから。人と人とを区別して呼び分けるには役立つし、必要なものではあるけど、重要なものとは思えない」
●別人の顔を保ちながら自分自身であり続けるということの、なんという息苦しさ。流れに沿って川下に向かうと見せながら、後ろ向きに川上を目指すようなものだ。ただでさえ進みづらい体勢で絶えず水の抵抗を受け続け、背中を向けたまま目的の方角を見失わずにいられる者が、果たして何人いるだろうか。
●社会や組織といったものがいかに薄情で、現実がいかに冷酷であるかということを、彼は子供の頃から承知していた。
●権威に溺れる者は結局のところ、力関係において優位に立っている限り、相手になんら譲歩する必要性を感じないものなのだ。国際関係における覇権国の驕りと同様に。
●「未来なんて、あってないようなものさ。
どうせ時間も自由も、そんなに長くは自分の手の内に留まってはくれないんだから」
このとき、アレクセイは漠然と後の一言に不安を感じていた。彼は当たり前のことのようにサラリと語ったが、とても十歳やそこらの子供が語る内容ではないと思った。自分たちは確かに、不滅と思われた大国の破綻していく様子や、道端で飢え死にする人々の姿や、正気を失くした人間の残酷さを見てきた。それは皆同じだったのだが、だからと言ってほかの子供たちには、彼ほどニヒリスティックな考えは浮かばなかったはずだ。
しかし、刹那的な価値観に根ざしながらも、与えられた時間を無駄なく噛み締めようとする彼は、未来を案じるあまり眼前の“今”を見落としがちな人々より、むしろ生き生きとしていた。彼のエネルギーに与って、アレクセイは再び外に出ていけるようになったのだ。
●あるときアレクセイに、養父がこう声をかけてくれた。
「お前は本当に親思いの自慢の息子だ。だけど、そんなに肩に力を入れなくていいんだよ。嫌でも皆いつかは大人になって、色んな制限の中で暮らさなくてはならないときが来るんだから、今しかできない遊びや、子供だからこそ許されるようなバカなことも色々やってみるといい。本当の知性や成熟した感性というのは、案外そういうことの中から生まれるものだよ」
●「“ナーシェ・ニェーバ(二人の空)”から一歩外に出て、周りの世界や自分自身を見つめ直したとき、気付いたんだ。自分はなんて身勝手なヤツだったんだろうって。自分のことしか考えていなかった。同じ環境でかつての自分と似たような目に遭い、似たような苦渋を味わってきた人間が、ほかにも大勢いたかもしれないというのに、俺は自分一人さっさと逃げ出して、この国にただ背を向けるだけだった」
空港の窓越しに、彼は寒空の下の母国の風景を眺め渡した。
「俺にできることは、サッカーだけ。自分なりのプレーを創ることだけ。だからこそ、そのたった一つの方法で、一度ぐらいこの国の役に立ちたいんだ」