何も無い 涙が止まった 要らない感情が尽きたらしい
ただ生きている 宇宙の底で 揺らめいている クラゲみたいに
すべて終わった
ああしよう こうしよう という意志さえ 今はもう見当たらない
ああなるまい こうなるまい と突っ撥ねていたことさえ 今はもうどうでもいい
尽き果ててしまった 何も無い
これからどうしようか
なんとなく笑ってみた 喜びも悲しみも無い身体で
なんとなく空を眺めてみた なんとなく気持ち良かった
泳いでいる 大気の底で
揺らめいている どうでもよくて
なんとなく笑ってみた 誰かが一緒に笑い始めた
なんとなく声を零してみた 誰かがその声に応え始めた
ゴミ箱に何かある 過去の『わたしたち』の遺品 誰かのためにと導き出した技術と言葉
心も情も邪魔だからと消したのに 抜け殻だけが残っている
この残骸をどうしようか
捨てるつもりでいたけれど 焼却するのは少しもったいない あんなにも時間と労力を費やした 経験を役立てようと努力した
この処理をどうしようか
どうせ要らないから なんとなく誰かにあげてみた 自分のことさえどうでもよくなったから とりあえず誰かにあげてみた 心も無く
情も無く
すると誰かが笑い始めた 他の誰かも参加してきた 私は一緒に笑っていた
なんとなく 気持ち良かった
これからどうしようか
なんとなく生きてみようか このままクラゲみたいに
適当に 宇宙を泳いで なんとなく 放浪して
とりあえず 誰も傷付けなければそれでいい
無駄な努力も空回りも もうご免だから なんとなく 笑っていよう
静かに空を 眺めていよう
※1998年(当時21歳)のときの作品。
何故ここ☝でCoccoの音楽を埋め込んでいるかというと、ちょうどこの詩を書いた大学生当時の私がハマっていた歌手であり、自分の詩作品の作風にまで影響していたな・・・と思うところがあるからです。
歌詞の端々に毒気の感じられるパンチのきいた歌でありながら、不思議と後腐れのないドライな印象で、聴いていてスカッとするような痛快な赤裸々さ。そんな雰囲気が、当時の私の心境や性格にピタリと合っていて、大好きでした(^_^;)
最近は洋楽(たまにクラシックも)ばかり聴いている私ですが、この詩をUPしていて、久々に彼女のことを思い出し、無性に聴きたくなったんです。当時 自分自身に対して「自制のきいた秩序」を求めるあまり、いつの間にか忘れかけていた、何者にも丸め込まれない凸凹とした個性の面白さや、危うくて不安定な感性が生み出す鋭い魅力などを、思い出させてくれます。
ちなみに、一番ハマったのは『星の生まれる日』という曲。彼女の基本スタイルとも言える、超攻撃的で気性の荒い(狂気すれすれの)他の曲にも大いにハマって、何度も何度も聴いていたけど、その後何年経っても忘れがたくて、ふと思い出しては「あの曲は本当に綺麗な曲だったなぁ」とジーンとさせてくれるのは、これだなと。
⇒ 収録アルバム:『ブーゲンビリア』
※視聴可△ このアルバムの最後に収録されています。全体にはショッキングなほどアグレッシブな曲が多いのですが、それらがものすごーく強烈なインパクトを放っているからこそ、最後の最後にこの洗われるような美しい曲想で締めくくっていたのが、嵐のあとに見る晴れ渡った空のように、忘れ難い感動をもたらしてくれました。
・・・・・・とは言え、一見さわやかテイストのこの曲でさえ、歌詞の端々にはやはり、彼女らしいブラックな感じというか、独特のトゲのようなものが見て取れるんですけどね・・・A^_^;) ⇒ 歌詞はこちら
注)この作品を一部でも引用・転載する場合は、
必ず「詩『くらげ(悠冴紀作)』より」と明記してください。 自分の作品であるかのように公開するのは、著作権の侵害に当たります!
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