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悠冴紀

大蛇の亡骸


透き通るような白い大蛇が 長い体で周りを取り巻いていた まるで夢殿を守るかのように 怯えた人々の銛を受けた大蛇は それでも土地を抱いたまま 香しき朝に力尽きた その亡骸は 神々が地上に落とした涙のように透き通り 幻のように朝陽に溶けていった 後に生み出された静寂は 水の質感で川を成し 亡骸の跡をなぞり 漂っていた 大蛇の最期に涙して 静寂に余韻を重ね見ながら 古びた書物を手に取ると 干乾びた小さな黒蛇が落ちてきた 大蛇と命を共有していたかのように すでに息絶え 硬くなって 縮み上がったその亡骸を掌に乗せ 私はそっと埋葬した 大蛇が取り巻き 抱いた大地に 大蛇の余韻を湛えた香しき朝が 静寂の川の美しさを忘れぬうちに

神の子池

※2005年(当時28歳)のときの作品。 この作品は、ちょうど翌年が蛇年に当たる2012年にも公開したことがあり、旧ブログから移行して

きた一作なのですが、一年の最後を飾るに相応しい作品なので、改めて今この時期にUPし直しました♪

何しろこの詩は、制作年である2005年に私自身が見た初夢を基にしたものですから 💤 (^^;) 私の場合、夢を見るときは、大抵現実の記憶や日常風景そのままで、夢らしい夢(← 相手の顔が曖昧でよくわからなかったり、明らかに見知らぬ相手なのに自分の知人だと思い込んでいたり、自分自身が空を飛んでいたり、化け物や何かの超常的な存在が現れたりする現実離れした夢)をめったに見ません。なのに、そんな私が珍しく見た、あまりに意味深で忘れがたい、神話の一場面を切り取ったような幽玄な夢だったので、思わず詩にしてしまいました ✍ ( ..)φ ただし、作品として、より文学的な味わいが出るようにと、表現を工夫して一部脚色してはいますが・・・。たとえば、詩の中では、大蛇が銛(もり)を受けて死んだということになっていますが、実際の夢の中では、なんと猟銃で銃殺されてしまうというショッキングな末路でした(汗) その部分を除くと、あとはひたすら、いにしえの趣きを感じられるよう表現に色をつけただけで、ほぼ夢に見た光景そのままの描写なんですが……。

* * * * * * * *

色んな解釈ができる夢だと思いますし、

どれが正解と言えるものもないんでしょうけど、

とりあえず私なりに見いだした、新旧二通りの解釈をここで書いておきます。 まず、この夢を見た当時の私は、こんな風に分析(妄想:笑)していました▼ ① 白く美しい大蛇も、黒く小さな蛇も、対照的な容姿とは言え、いずれも同じ蛇という生き物です。

蛇と言えば、神聖な存在として語られることもあれば、“執念”の化身として語られることもありますよね。 ただその執念というもの自体、私に言わせれば、時に、ここに描かれた白蛇のように優美で神々しい一面を垣間見せることがある。その過剰さや一方的な想いゆえに、いずれは破綻したり大きな代償を払わされたりして、望む形では結実しにくい危ういものではあるけれど、執念を原動力とすることで初めて獲得される 何かの絆や、目指した在り方、唯一無比の才能発揮、といったものも、確かにあるからです。 でもその内側には、往々にして作中の黒蛇のように、小さくて醜い卑屈な側面も潜んでいて、切り離しては考えられない表裏一体の関係にある。多くの成功者や美の獲得者たちの今が、意外にもコンプレックスに根差す反動的なパワーで保たれていたりするのと同様、いわば、対照的な二つの側面が、光と影のように対を成すことで、互いの存在や出現を可能にしてきたわけです。 黒蛇なしに白蛇はなく、一方が息絶えるときは もう一方も道連れ。夢の中で見た、そうした蛇たちに訪れた死は、かつて良くも悪くも執着してやまなかった様々な事柄から、私自身が精神的に解き放たれて吹っ切れた(あるいはこれから吹っ切れる)ということを意味(暗示)していたのではないか。執念をして初めて得られた夢幻の歓びと引き換えに、求める対象をも傷つける不安定な危うさや視野狭窄を脱ぎ捨てて ――。 これが2005年当時の私の解釈(こじつけ?:笑)でした。

💡 ではここからは、今現在の私の解釈というか、 ブログ上で公開するのをきっかけに、あの時の夢を改めて振り返ったことで、

今更ながらに思いついた後付けの分析・考察を書きます。参考までに A^_^;)▼ 作中4行目に「怯えた人々の銛を受けた大蛇」とあります。以前の解釈では、私の見た夢なのだからと、他の登場人物たちの存在については一切触れず、内省的な自己分析だけで済ませてしまっていましたが、今思えば、あの夢には私以外にも大勢の人間(← 名前も顔も知らない人ばかりでしたが)が登場していたのです。そして私自身ではなく彼らこそが、大蛇を攻撃して死に追いやった。 私は巨大な白蛇の身体がグルリと取り巻く 夢殿 みたいな建物(小屋??)の中にいて、恐れるどころかウットリ見惚れ、内心ずっと一緒に生きていたいとさえ思っていたのに、愛すべき守り神のようなその美しい白蛇を理不尽に退治・抹殺されて、救うことができなかった。何ら害を成さないのに、魔女狩り的に大勢の住人に一斉攻撃された大蛇は、何故だかまるで、はじめから自分自身の運命を悟っていたかのように、無抵抗のまま静かに息絶えていきました。私はその様子を、夢殿風の建物の内側から、ただただ無力に眺め、涙していたのです。 これがあの時見た初夢の詳細です。 なので今度は、自分という主体に距離をおいて、映画や小説などの作品を分析する

ときのような視点で、事の全体像、夢の全容を、もっと客観的に捉え直すことに。。。👇 ② 人は恐怖で攻撃的になる生き物です。 自分たちに理解できないものを恐れ、自分の価値観を揺るがす事実を恐れ、自分の内側の認めたくない側面をも恐れて、その恐怖心をごまかすために攻撃的になる。本当の敵は、自分自身の内側にある無知と臆病さ そのものだというのに、それを認める勇気すらないために、自分の外側に敵を求め、誤った方向に矛先を向けるのです。 他人の中にある自分と同種の欠点を、それと気づかずに攻撃したり、自分が傷つくのが怖いからと、そうなる前に相手を傷つけたり、自分と何かが違うというだけで、他の存在を恐れて敵視したり……。そんな行為を重ねれば重ねるほど、同時に自分自身の魂が落ちぶれ、朽ち果て、失われていくというのに。 今思うと、人々が恐怖心から抹殺してしまった白い大蛇とは、

他ならぬ彼ら自身の内面にあった神聖な部分だったのかもしれません。 作中(というか夢の中の)後半で「古びた書物」というのが出てきますが、

私にとって、書物とは人間尊厳の象徴、あるいは、それを守るために奮闘してきた人たちの血と汗の象徴です。 そこから、ミイラ化したようにカラカラに乾上がった姿でポロっと落ちてきた小さな黒蛇は、まさに、人々に恐れられた巨大な白蛇の、もう一つの、真の姿。倒すべき『外側の敵』と思われていたのに、実は彼ら自身の内側に潜んでいた、醜く ちっぽけな、でも尊く確かな命を宿してもいた一個の魂だったのではないか。 ── そんな気がしてきたのです。

☝ もちろん、これらはいずれも私なりの素人判断の夢分析で、当たっているかどうかなどわかりませんけどね・・・A^_^;)

何かもっとマズイ事柄や悲惨な未来の暗示だったかもしれないし、警告の類いだったのかもしれないし。。。 私はそもそも、不思議な事柄に対して 何でも意味を見出したがる神秘主義者の部類ではないので、あの夢が単に、

脳が記憶整理を行う途中で“事故”として見ただけの、睡眠時の無意味なビジョンであった可能性も、否定はしません。 むしろ基本は、夢などそういうものだと思っています σ(^^;)

ただ、こんな私でさえも、いつものそんな醒めた見過ごし方ができないくらい、そして思わず紙の上に書き留めて、あれこれ想像を巡らせずにはいられないくらい、本当に心地よくて透明感のある神秘的な夢だったんです ✨ 夢の中の私は白い大蛇の死を悼んでいたけれど、それでも何故だか、陰惨で後味の悪い『悪夢』の類いではなく、詩的で美しい、いつまでも浸っていたくなるような余韻深い夢でした。しかもそれがその年の初夢ですから、タイミングの良さも影響大。 来年もこんな掘り下げ甲斐のある美しい初夢を見られるといいなぁと、内心期待してしまうくらいです、ハイ♪

今年もついに今日で最後。

皆さんは果たして、どんな初夢を見るのでしょうか?

いくつになっても、こういう期待感は忘れてはならないと自分に言いきかせつつ、

本日をもって2016年最後の日記を終了させていただきます。

それでは皆様、良いお年を!!

来年もよろしくお願いします (^o^)丿

注)この作品を一部でも引用・転載する場合は、必ず「『大蛇の亡骸(悠冴紀作)』より」と

  明記してください。自分の作品であるかのように公開するのは、著作権の侵害に当たります!


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